Good Times

with

Yamanokotobuki

ゆく河の流れは絶えずして、
しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、
かつ消えかつ結びて、
久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人とすみかと、
またかくのごとし。
(方丈記より)

山の壽
goodtime with yamanokotobuki.
goodtime with yamanokotobuki.
そこにいる、
そこにある。
人の営みの遥か昔からそびえ、
我々を見守ってきた耳納連山。
父なる山から湧き出た水が
大きなうねりとなり、
恵みと災い、両方を与えてくれる
千歳川や一夜川とも呼ばれる母なる
筑後川となりました。
日本人は自然に神が宿ると捉え、
其処彼処に存在するとし、
我々に幸福も試練も与えると
考えられてきました。
山の壽
文政元年(1818)、
久留米藩の北野町に創業。
生々流転。
消えてはまた生まれる泡のように、
変わりゆく世の中に対して
「この土地らしい新たな産業を。」
と、初代が地元の人々と始めた酒造り。
その流れは時に消えかけつつも、
地域の方々の支えもあり八代目へと
結び継いでいまに至ります。
山の壽

飲水思源。
自然から、
人から与えられる恩恵を受け、
留まることなく日々錬磨し、
感謝と喜び、そして祝い合う。

Good Times with Yamanokotobuki
我々はそのうたかたのような
瞬間の傍らに
ある存在でありたいと
考えています。

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山の壽
そっと傍らに寄り添える存在に
そっと傍らに寄り添える存在に
そっと寄り添える存在に
美酒佳肴。
誰かといたいとき、自分と向き合いたいとき。
酒と肴は対のような関係。
気づいたらいる、大事なときにある。
川の流れのように時にしなやかに時に激しく、
留まることのない人生に寄り添えたら。

撮影協力:炭とワインと日本酒 イルフェソワフ
撮影協力:多㐂川

つくり

山の壽が目指す酒造り
日本には「真行草」
という価値概念があります。
千利休が「真を知り、行・草に至れば(作法や形態は)いかほど自由に崩そうと、その本性はたがわぬ」という言葉を残し、様々な芸道の理念に精通するものとして現在に至ります。

酒造りにも「真」があります。真を学び、精進し、
山の壽ならではの独創に挑戦しています。

自然に感謝し、人と喜びを分かち合い、驕ることなく、
和をもって良い酒造りを行うことを大事にしています。
山の壽が目指す酒造り
一人ひとりの「Good Times」を想い、描く
人の喜ぶ顔を思いながら、
蔵元だけでなく蔵人一人ひとりの想いをかけ合わせ、
技術の錬磨はもとより、
常に挑戦を怠らず試行錯誤しています。

「Good Times with Yamanokotobuki」
この言葉を胸に、酒造りを通じて、飲み手のみならず
酒屋、米農家、飲食店、関わる人が共感する
「Good Times」を生み出すため、真・行・草を行き来し、自由な発想で酒造りを行っていきます。
一人ひとりの「Good Times」を想い、描く<
泡沫発酵製法
うたかた(泡沫)とは、
儚く消えやすいものという意味です。
このお酒の特徴はその名前の通り、儚く消えやすいけれど確かに感じる醪(もろみ)由来のガス(CO2)。
グラスに注いでいただくと気泡が美しく現れます。口に含むと小さく細かい気泡がプチプチと口の中を転がっていきます。その儚くも美しい「うたかた」は繊細で真が通っており、心を優しく浮きたたせてくれるようなお酒です。
※このお酒には醪由来以外のガスは
一切使用しておりません。
泡沫発酵製法

歴史

この地にとって
新たな産業としての酒
山の壽酒造は文政元年(1818)。
当時、21万石で米藩とも称されていた久留米藩、その領地だった三井郡(現在の久留米市)北野町に創業。当時、久留米藩は緊縮財政で、農民の暮らしも豊かではなかったそうです。
そんな中、新たな産業として地元の米と、筑後川の伏流水で造る清酒製造に至りました。筑後川は耳納連山とのつながりが深く、父母の関係と言われています。耳納断層によりできた河川が筑後川となり、肥沃な土壌を生み出しました。水が豊かなその反面、花崗岩により、天水が地下に染み込みづらい環境により、大雨の際には河口まで一気に天水が流れ、河川の氾濫に繋がっています。
この地にとって新たな産業としての酒
千歳川、一夜川、
繁栄と氾濫をもたらす暴れ川
久留米市はいまや人口30万人。
福岡市、北九州市に次ぐ、県内の都市。人口だけで見ると豊かな土地のように見えますが、いまも昔も変わらず豪雨での筑後川の氾濫による災害の多い土地でもあります。
筑後川は千歳川とも呼ばれ、自然の恩恵と洪水の試練を幾度となく繰り返してきました。
自然の恵みのみならず、筑後川は物流にも大きく活用され、地域に大きな富をもたらしました。
その反面 、度重なる洪水のあとには家屋は倒壊、田畑は荒廃を繰り返す土地でもあり、江戸時代から近代に至るまで治水工事は長く行われ、いまもなおその工事は繰り返し行われています。
千歳川、一夜川、繁栄と氾濫をもたらす暴れ川
この地を愛し、
この地と共に生きる。
山の壽酒造も多分に漏れず、倒壊の憂き目に合い、平成3年(1991)の台風19号で造り蔵が全壊しました。それでもこの地を離れず、この地を愛し、この地と共に生きている人々がいます。山の壽酒造も創業から200余年。
同じ想いを胸に酒造りを行ってきました。

そして我々はこの地と共にこれからも想いを持った人々と共に酒造りを行っていきます。
この地を愛し、この地と共に生きる。

企業概要

企業概要
社 名
山の壽酒造株式会社
代表者
代表取締役 片山 郁代 [八代目当主]
創 業
1818年 [文政元年]
住 所
〒830-1125 福岡県久留⽶市北野町⼄丸 1・2合併番地
交 通
西鉄甘木線「大城駅」より徒歩2分
TEL
0942-78-3025
FAX
0942-78-4673
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Yamanokotobuki

山の壽
山の壽
山の壽
山の壽
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